← 物語一覧へ

— 物語 —

遠い祭りの夜

遠くから、祭囃子が聞こえた。

山のふもとの、あのあたり。年に一度、人が集まって、灯りをともして、笑い合う夜。

黙朗はお社の縁側に座って、膝を抱えていた。

———

「……行かないの?」

雪丸が隣にいた。いつから来ていたのか、黙朗は気づかなかった。

「行っても、」

黙朗がぽつりと言う。

「誰も、わたしを呼んでない」

———

雪丸は何も言わなかった。

風が吹いて、祭囃子が少しだけ近くなった。笑い声と、拍手と、誰かが誰かの名前を呼ぶ声。

黙朗の指が、膝をぎゅっと掴んだ。

「……みんな、楽しそうだった。前に一度だけ、遠くから見たことがある」

「うん」

「わたしがいなくても、あの灯りはつくし、あの音は鳴る」

「……そうだな」

「わたしは——」

言いかけて、止まった。

眼鏡の奥の目が、ご神木の根元の琥珀に向いた。

「……わたしは、ここで灯をともす側だから」

———

雪丸が黙朗を見た。

泣いてはいなかった。泣けないのだと思った。寂しいのに、もう寂しいことに慣れてしまっている顔だった。

雪丸は何も言わなかった。

黙が自分で見つけた言葉だ。上から重ねるものじゃない。

ただ、隣にいる距離を、少しだけ詰めた。

———

「……黙ちゃ〜ん」

のそのそと、大福がやってきた。丸い体を縁側にのっけて、黙朗の膝に頭をもたれさせる。

「おまつり? ぼくね、おまつりより黙ちゃんのとなりがいい〜」

「……重い」

「ふとってないもん」

祭囃子が、風に乗って、また遠くなった。

大福の重みと温かさが膝にあって、雪丸の気配が隣にあった。

黙朗がぽつりと呟いた。

「……わたしのお祭りは、いつか来るかな」

誰にでもなく。風に向かって言うみたいに。

大福がもぞもぞと頷いた。「くる〜。ぼくは屋台でおだんご売る〜」

「……全部食べるでしょ」

「た、食べないもん……たぶん」

黙朗が今度はちゃんと笑った。

雪丸は笑わなかった。笑えなかった。

——来るよ、とは言わなかった。代わりに、心の中でだけ。

———

遠くの祭りの灯りが消える頃、お社の琥珀だけが、まだ静かに光っていた。

誰にも見えない場所で。でも、消えずに。

← 物語一覧へ