— 物語 —
お社の台所は、昼になると西の小窓から陽が入る。
朝と夜は暗い。土間の冷たさと、木の匂いと、何かの煮えた残り香だけがある場所だった。けれど昼の一刻だけ、西日が棚を横切って、土瓶の肌や湯呑みの縁をなぞるように照らす。
棚には古い器が並んでいる。どれも少しずつ欠けていたり、色が褪せていたりする。取り替えながら何百年も同じ場所に並んできたものたちで、誰もそのことを気にしない。気にしたところで仕方がない。
布巾が一枚、棚の取っ手にかけてある。陽に灼けて、端がほつれている。
雪丸はその棚を整理していた。湯呑みの位置を直して、埃を払う。急ぎの用ではない。ただ、こうしている時間が嫌いではなかった。器の肌に触れると、この社がどれだけの時間を重ねてきたかが指先に伝わる。
———
大福が床に転がっていた。
いつからいたのかわからない。台所の隅、日差しが届かない土間のあたりに、白いかたまりがぽてりと落ちている。動かない。
「おい大福、邪魔」
返事はすぐには来なかった。
「……やるきが、でない」
声がいつもより低い。低いというより、重い。まるく丸まった身体がわずかに沈んでいるように見えた。
「ゆきまる、ぼくね、今日はね、もうだめなきがする」
雪丸は溜め息をついて、大福のそばにしゃがんだ。もうだめだと、この鳥は時おり言う。昨日も言っていたかもしれない。一昨日も言っていたかもしれない。けれどそのたびに、夕方には何事もなかったように黙朗の肩に乗っている。
「何がだめなんだ」
「わかんない。ぜんぶ」
ぜんぶ、と言われると返す言葉がなかった。
———
雪丸は黙って大福を持ち上げた。
軽い。見た目のわりに、いつも軽い。羽毛がふくらんでいるだけで、中身はそう重くない。けれど本人は「ふとってないもん」と言い張るのだから、重さについて何か言うのはやめていた。
棚の上の、日当たりのいい場所にぽすっと置いた。湯呑みの隣。西日が白い羽毛に当たって、やわらかく光った。
「ここでぼうっとしてろ。日が当たると大福はふくらむ」
「……ぼく、おもちじゃないもん」
「おもちだろ」
大福は反論したそうな顔をしていた。けれど陽のあたたかさに負けたらしい。目がとろんとして、むくむくとふくらんだ。
棚の上は少し埃っぽい。でも、陽の匂いがした。干した布のような、あたたかい木のような。夜のお社にはない匂い。
———
しばらく、雪丸は棚の整理に戻っていた。
湯呑みを拭いて、戻す。土瓶の蓋がずれているのを直す。それだけのことを、ゆっくりやる。台所の時計がことこと鳴っている。それ以外に音がなかった。
お社の昼は、夜よりずっと静かだった。
夜は虫が鳴き、風が木を鳴らし、時おり獣の足音がする。けれど昼の台所には何もない。日差しと、棚と、ことことだけ。
「……ゆきまる」
棚の上から声がした。
「ん」
「おいで」
雪丸は手を止めた。
「は?」
「おいで。ぼくのよこ」
「なんで俺が」
「ひなたぼっこ、ひとりはさみしい」
———
雪丸はしばらく動かなかった。
それから湯呑みを棚に戻して、布巾で手を拭いて、しぶしぶ棚のそばに座った。背を預ける。銀の髪に日差しが触れて、やわらかく光った。
どこかで鳥が鳴いた。遠い。
大福がずるずると棚から降りてきた。雪丸の膝にぽすっと落ちる。あたたかくて、やわらかい重み。
むにむにとポジションを探して、ぐりぐりと身体を押し付けてくる。雪丸の手が、しぶしぶ大福の背に乗った。
「……あったかいじゃん、ゆきまる。ぽかぽか」
「それは日差しだろ」
「ちがうもん。ゆきまるだもん」
雪丸の耳がいくぶん赤い。手は退かない。退く気もなかった。
———
大福がすぴい、と寝た。
雪丸も目を閉じた。
台所の時計だけが、ことこと鳴っている。西日が棚の端からゆっくり移って、ふたりの上をあたたかく包んでいた。
了