— 物語 —
黙ちゃんが、ごはんの前に、いちど止まる。
箸を持って、お茶碗を持って、それから、ほんのすこし、止まるんだ。痛い人の手は、こういう止まりかたをする。ぼくは知ってる。これからやってくるものを、知っている手の止まりかた。
ぼくは、ひざの上にいた。あったかいところに陣取って、おなかをあたためながら、黙ちゃんの手元を見ていた。
しょっぱいものが、口に入る。
おかおが、ぴくっとした。ほんのちょっとだけ。すぐ、なんでもない顔にもどす。黙ちゃんは、いつもそうする。痛いのを、しまうのが、じょうずなんだ。
「……口の、ここ」
黙ちゃんは、自分の口のはじっこを、指でちょっと触って、笑った。困ったみたいに笑う、いつものやつだ。
「たいしたことないんだけどね」
たいしたことない、って言うときの黙ちゃんは、たいてい、たいしたことある。ぼくには、むずかしいことはわからない。でも、それだけは、わかる。
———
頭の上で、雪丸がうごいた。
「しょっぱいのと、すっぱいのはよせ。やわらかいもんにしとけ」
雪丸は、こういうとき、つよい。痛いところを、ぱっと見つけて、どうすればいいかを言う。痛いのを「どうにかするほう」だ。
ぼくは、ちがうほうなんだ。
ぼくは、黙ちゃんの口のいたいのを、なおせない。とんでけ、って言っても、ほんとうには、とんでいかない。くすりも持ってないし、はやくなおすやりかたも、しらない。
ぼくにできることは、ひとつしかない。
———
だから、ぎゅう、ってした。
ひざの上で、まるくなって、黙ちゃんのおなかのほうへ、おもいっきり、よりかかった。
「大福、おもい」
「ふとってないもん。雪丸がかるすぎるだけ」
黙ちゃんが、ちょっとだけ、ふきだした。
痛いのは、まだ、そこにある。とんでなんか、いってない。ぼくがよりかかったって、口のはじっこの痛いのは、ひとつも減らない。それは、ぼくにも、わかってる。
でも。
さっきまで下を向いていた黙ちゃんの口のはじっこが、いまは、すこしだけ、上を向いている。
———
なおせないのに、そばにいて、いみがあるのかな。
ぼくは、ときどき、わからなくなる。
そういえば、黙ちゃんも、ときどき、こんな顔をする。なおせないものの、そばにいる顔。もどってこないものを、それでも、ずっと見ている顔。ぼくは、それが何なのか、知らない。黙ちゃんが、ことばにしないから。でも、いまのぼくと、すこし、にている気がした。
黙ちゃんの手が、ぼくの羽のあいだに、ゆっくりもぐってきた。そこで、止まった。
「……あったかいね、大福」
ぽう、とぼくは鳴いた。
———
そうか、と思った。
ぼくは、痛いのを、とってあげられない。でも、痛い黙ちゃんのとなりで、まるく、あったかくしていることは、できる。痛いのと、あったかいのは、いっしょにいられる。痛いまんま、あったかくいられる。
それなら、ぼくにも、できる。それで、いいんだ。たぶん。
おひるやすみは、みじかかった。でも、あったかかった。
了