— 物語 —
台所に、たまごがひとつ落ちていた。
割れてはいない。ただ、床のまんなかに、ぽつんと。
「たまご……」大福が、まん丸の目でそれを見下ろした。
「なんで、ここにいるの」
「さあ」雪丸は棚の書き物をしながら答えた。
「転がったんだろ。拾って戻せ」
「でもね、雪丸。これ、ぼくのおともだちかもしれないよ」
雪丸の筆が止まった。
「……なんで」
「まるいから」
論拠がまるくない。雪丸は振り返らなかった。振り返ると負けだと、長年の経験が言っていた。
そこへ、シキがしずしずと現れた。ながい尾を、たいそう優雅にひきながら。
「なにやら、ただならぬ気配が」シキはたまごの前にすわり、しばらく見つめた。
「……大福さま。これは、たまご、にございますね」
「うん! おともだち!」
「いいえ」シキはおごそかに首をふった。
「これは……あたためねば、なりませぬ」
雪丸の筆が、二度目に止まった。
「わたくしの見立てでは」シキはうっとりと語った。
「このなかには、ちいさな、それはそれは、けだかい、なにかが……ねむって、おりましょう」
「けだかいなにか!」大福が飛びあがった。
「シキにゃんすごい! ぼく、あたためる!」
「大福。おまえ体重で潰すぞ」雪丸がついに振り返った。
「ちがうもん! そうっとだもん!」
「そうっと三キロは、そうっとじゃない」
シキは二匹のやりとりを、しずかに、ながめていた。それから、おもむろに、たまごの上に——のった。
「シキにゃん!!」
「わたくしのほうが、かるう、ございますれば」
「おまえ六キロあるだろ。倍だろ」雪丸は頭を抱えた。
「そもそもそれは、黙が夕飯に使うやつだ。冷蔵庫から転がっただけだ。中に何もいない」
沈黙が、台所に落ちた。
大福が、しょんぼりと羽をたたんだ。
「……おともだち、いないの?」
シキも、たまごの上で、ながい尾を、しゅん、とさせた。
「……けだかいなにかは……」
雪丸は、二匹を見た。まん丸の目と、うるんだ目。
「……いる」と、雪丸は言った。
「たぶん、いる。だから割るな。そっと戻せ。あたためなくていい。冷蔵庫が、いちばんよくあたためる場所だから」
「れいぞうこが!?」
「そういうもんだ」
大福はたまごを、羽で、それはそれは、そうっと拾いあげた。シキが横から、うやうやしく付き添った。
三匹で、たまごを冷蔵庫まで送り届けた。まるで、ちいさな、行列のように。
雪丸は書き物に戻った。筆の先で、ちいさく笑っていた。
……その晩、黙がたまごを二個使おうとして、一個だけ、やたら丁寧に扉のポケットに鎮座しているのを見つけた。
なんでこれだけ特等席なんだ、と首をかしげて。
まあいいか、と、そっちは使わずにおいた。
了