— 物語 —
参道の石段は、上から数えたことがない。
数えようとした者は、これまでにもいた。たいてい途中でわからなくなって、やめる。雪丸も一度やって、やめた側である。
日が傾いていた。杉のあいだから、赤みの差した光が斜めに落ちている。石は昼のあいだの熱を、まだ少しだけ持っていた。
用は済んだ。あとは、降りるだけだった。
雪丸は先頭を歩いた。
人間の姿である。飛べば、この石段は無いのと同じになる。上から下まで、息を吐くほどの間もかからない。
飛ばなかった。
背中で、音がしていた。
ぽすん。
ひと呼吸おいて、ぽすん。
大福が、一段ずつ落ちている。歩いているというより、落ちて、止まって、また落ちている。三キロの丸いものが石に着くたびに、乾いた音が石段の下のほうへ転がっていった。
「大福」
「ぽう」
「羽を使え」
「つかってるよう」
使っていない。使っているつもりで、ふくらんでいるだけである。ふくらむと落ちる速さが少し変わるので、本人はそれで足りていると思っている。
その、さらに後ろを、シキが歩いていた。
灰と銀の背中が、ゆっくりと段を移る。前足を置いて、確かめて、後ろ足を送る。急がない。急ぐそぶりもない。
雪丸は、この猫が本気を出したときの速さを知っている。廊下を走って逃げたことがある。あれは、猫の姿をした別のものだった。
その別のものが、いまは最後尾で、老いた者のような足取りをしている。
「シキ」
「はい。ゆきまるさま」
「おまえ、遅い」
「はい」
「そこは、否定しないのか」
「はい」
シキは丁寧に肯定した。肯定して、また一段降りた。
中ほどまで来たあたりで、石が湿りはじめた。谷の側から風が上がってきて、苔の匂いがした。この時刻のこの高さだけ、いつも湿る。
ぽすん、と大福が落ちた。
落ちた先が、濡れていた。
白い丸が、そのまま横に滑った。
「ぽ」
声が短くなった。雪丸が振り返ったときには、大福はもう石段の端に向かって流れていた。羽をひろげたが、ひろげたぶん風を受けて、余計にすべった。
止まった。
シキが、前に出ていた。
六キロが、大福の進む先に体を入れて、それだけで止めていた。押し戻しもしない。受けもしない。ただ、そこにいた。
「……ぽう」
「だいふくさま」
「うん」
「あぶのうございます」
「うん」
大福はしばらく、灰色の脇腹にもたれていた。もたれたまま、ふくらんで、しぼんだ。
雪丸は、二段ぶん上がって戻ってきていた自分に気づいた。
「シキ」
「はい」
「それをやるために、後ろにいるのか」
シキは答えなかった。
答えずに、大福が立ち上がるのを待って、また最後尾に戻った。
石段の残りが短くなった。
杉が切れて、視界がひらける。下の平らなところに、白い光がひとつ点いていた。
黙が、いた。
石段の下に立って、こちらを見上げている。手に提灯を持っている。夕方のこの時刻に、あの人がそこに立っているところを、雪丸は何度も見ている。
声が上がってきた。
「ひとつ」
雪丸が、最後の段を降りた。
「ふたつ」
ぽすん、と大福が着いた。
「みっつ」
灰と銀が、音もなく平らなところへ降りてきた。
黙は数え終えて、提灯を下ろした。それだけである。おかえりも、遅かったねも、言わない。数が合ったので、もう用は済んだという顔をしている。
「黙」
「ん」
「毎回、数えているのか」
「そうだよ」
「合わなかったことは」
「ないよ」
黙はそう言って、先に歩き出した。
雪丸は、うしろのシキを見た。
シキは、石段のほうを見ていた。もう誰も降りてこない、暗くなりはじめた石段を、しばらく見上げていた。
それから、雪丸のとなりに来た。
「ゆきまるさま」
「なんだ」
「うしろが、あいておりますので」
「――ああ」
わかった、とは言わなかった。
下で待つ者がいて、後ろで数える者がいる。前を行くものは、それを知らずに歩けばいい。たぶん、そういう分担になっている。
飛べば、あの石段は無いのと同じになる。
早く着いて、どうする。
了