— 物語 —
文が来る、と聞いていた。
いつ来るとは、聞いていなかった。
黙は朝のうちから、鳥居の見えるところに座っていた。座布団を出して、その上に、きちんと。
「表を見ておけばいい」
雪丸がそう言ったからである。
道はひとつしかない。石段を上がって、鳥居をくぐる。それ以外に、ここへ来る道はない。だから表を見ていれば、来た瞬間に分かる。理屈としては、正しかった。
雪丸は黙の頭の上にいた。ここが一番よく見える、というのが本人の言い分である。
大福は、座布団のはしに乗っていた。
乗ってはいるが、はみ出している。ふくよかな腹が、座布団の縁から静かに垂れていた。
「ぼくも、みてる」
「見ろ」
その後ろに、シキが来て、座った。
何も言わずに座って、尻尾をひとまわり巻いた。灰と銀の背中が、朝の光をゆっくり吸っていく。
四人で、表を見ていた。
昼になった。
来ない。
杉のあいだを風が通って、石段のほうで葉の音がした。
黙は一度、立ち上がった。
社のほうへ二歩ばかり歩いて、そこで止まった。
裏を、見にいこうとしたのである。
「表だ」
頭の上から声がした。
「うん」
黙は戻って、座り直した。理屈は雪丸のほうが正しい。道はひとつしかないのだから。
「まだかなあ」
「来る」
「来るって言った?」
「来ると言ったんだから、来る」
雪丸は表から目を離さなかった。離すと、その隙に来る気がしていたからである。実際にはそんなことは起きないのだが、待っているあいだは、そう思うものらしい。
大福は寝ていた。
「……うし、ろ……ぽう……」
寝言だった。
誰も、取り合わなかった。
日が傾いた。
石の色が変わって、鳥居の影が参道の上に長く伸びた。黙の膝はもう冷たくなっている。座布団は、朝からずっと同じところにある。
「……来ないのかも」
雪丸は何も言わなかった。
言わなかったのは、同じことを思っていたからである。
シキが、顔を上げた。
少しのあいだ、動かなかった。
それから、片方の耳だけが、うしろへ倒れた。
「黙さま」
「うん?」
「……おもてでは、ございません」
シキは立ち上がって、社の裏へ歩いていった。急がない。急ぐそぶりもない。それでいて、まっすぐだった。
裏の勝手口に、人が立っていた。
息が上がっていた。袖に草の実がついている。片手に、文を持っていた。
「すみません」
「はい」
「表の道が、途中で分からなくなって」
山の裏から回ってきたのだと言った。日が暮れかけても引き返さずに、こちらへ上がってきたのだと。
「さっきから、声はかけてたんですが」
「……ごめんなさい。表を、見てたので」
黙は文を受け取った。
紙は少し湿っていて、端のほうが草の匂いをしていた。
戻ってくると、大福が起きていた。
「ぽう?」
「来たよ」
「みてたのに」
「うん」
「ぼく、うしろって、いった?」
「言ってた」
「ぽう」
本人は、覚えていないようだった。
雪丸は、まだ表を見ていた。
誰も来ない鳥居が、夕日のなかに立っている。ずっと見ていた場所である。一日そこを見ていて、そこからは何も来なかった。
「……表から来ると、思っていた」
「うん」
「道はひとつしかないんだ。ここへ上がる道は」
「うん」
シキが、足元に寄ってきて座った。
「わたくしは……だいふく、さまの、ねごとを、きいておりました」
「そうだね」
「うしろ、と。たしかに、そう、おっしゃって」
たどたどしかったが、たしかにそのとおりだった。
大福が、座布団の真ん中に戻って、まるくなった。
もう誰も座らないのに、そこがいちばんいい、という顔をしている。
「ぽう」
黙は座布団を拾おうとして、やめた。
雪丸は、そこでようやく表から目を離した。
了